水と言葉の井戸端会議

気ままに商い中。ごゆるりとしてって下さい。

【金町SC】岩谷先生が生きた証

 

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桜の季節

出会いと別れが織り成し

 

喜びと

期待で溢れている

 

だけど

少し寂しく

 

少し切ない

 

そんな矛盾が

人を大きく成長させる季節

 

 

 

4月1日

 

 

 

あなたは

今日という日に何を想いますか?

 

 

 

 

すいません

前振りが長くなりましたが

 

 

 

今日は

 

私と、仲間達と

 

そして命をかけて

私達を導いてくれた恩師について

 

 

そんな昔話や

想い出、思いを

 

ゆっくり書き綴ろうかと

 

 

ごゆるりと

 

 

 

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4月1日

 

 

今日は

新年度の幕開けであり

 

エイプリル・フール

 

 

 

 

そして

私の恩師が旅立った日

 

 

 

 

 

あの日から

私も仲間達も大きく変わり

 

 

成長し

 

 

それぞれの道を歩んでいる。

 

 

 

 

しかし

あの日から

 

時間が止まったまま

 

 

それは多分

進むことのない

 

 

 

そんな場所を

 

私だけでなく

あの人に関わった多くの方が

 

抱えているのではないだろうか

 

 

 

 

 

あの人は

いつも一番近いところで

 

支え、導き、叱ってくれた

 

 

その存在は

指導者であり

母のようだった

 

 

 

 

 

私は水泳指導者となり

 

あの人が命をかけ

闘った世界を歩むことで

 

 

あの人の大きさと

あの人の優しさを

 

恥ずかしながら

初めてその大きさに気がついた

 

 

 

 

私には到底

超えることの出来ない背中であり

 

 

今でも

あの人の

 

強く暖かい

優しさの中で生きている。

 

 

 

 

病に倒れ

選手には嘘を付き

 

騙し

騙しながら

 

そして

1年と少しという

 

短い時間で

 

あの人は旅立った。

 

 

その頃、私は

練習拠点が大学へと変わり

 

 

あの人のもとを離れ

水泳に打ち込んでいた。

 

 

病に倒れたあと

あの人と親交の深かった

私の母には

すべてを話していたようで

 

 

私のもとにも

その情報は常に知らされていた。

 

 

春先

合宿で海外へと旅立つ私に

 

母親から

一通のメールが入っていた

 

 

『帰ってくるまで持たないかもしれない』

 

 

 

 

覚悟はしていたが

頭経ってもいられず

私は、あの人にメールを送った

 

 

大学に行く前に

あの人と交わした約束

 

もう一度

送りつけた。

 

 

 

『俺が先生をオリンピックに連れて行くから』

 

 

 

もう長くはないと

知っていた

あの人からの返信は

 

『楽しめ!』

 

その一言が送られてきた。

 

 

あの人は

試合に向かう前

 

いつも

そう送り出してくれた。

 

 

 

後に、

あの人の親族から聞かされたのは

 

そのメールを嬉しそうに見ていたという。

 

 

誰がなんと言おうと

どんなときも

 

私の夢を信じ

私の夢を諦めず

 

支えてくれていた。

 

 

 

 

あの人が患った病は

 

 

 

 

薬の影響から

相当な痛みを伴っていたはず

 

 

しかし

あの人は旅立つ直前まで

 

プールサイドに立ち

教え子を指導していたという。

 

 

 

 

あの人が

旅立ったのは

 

4月1日

 

その当時

ジュニアオリンピック

3月末まで

行われていて

 

 

自分にとって

最後の教え子となる選手を

 

最後の

その瞬間まで

 

指導し送り出したい

 

 

そう願い

あの人は意識が遠のくほどの

 

痛みのなか

 

車椅子で

プールに足を運んだという

 

 

旅立つ数日前のこと

 

 

 

 

 

病に倒れる前からも

 

 

あの人は選手が練習中

絶対に

座ることはなかった

 

 

2時間から

3時間という練習時間

 

私は一度も

あの人が

座っているところを見たことがない。

 

 

 

ある日

聞いたことがある

 

 

なぜ座らないのか

 

 

 

頭をコツンと叩かれ

選手が戦っているのに座るわけないだろう

 

そう言われた

 

 

 

 

プールサイドは

とても硬く

 

足への負担も大きい

 

 

場合によっては

一回の練習で

プールサイドを行ったり来たり

2キロ〜3キロ歩く日もある

 

 

それでも

あの人は座ることは無かった。

 

 

それは

病に倒れ限界が来るその日まで

 

 

あの人は

常にプールサイドに立ち

 

私達のために

私達と共に闘ってくれていたのだ。

 

 

 

 

 

 

そして

その日は訪れた

 

 

私は

 

たまたま帰省し

スイミングクラブの朝練に顔を出していた

 

その朝練後

あの人の旅立ちを知らされる。

 

 

涙は出なかった

 

 

自分の中で

なにかが空っぽになる

 

 

そんな感じだった

 

 

その日の夜

親父が

 

酒を飲み

少し遠くを見るような声で

 

 

『悔しいな』

 

 

その一言に

涙が溢れ

 

 

その涙は

止まらなかった。

 

 

これまでも

この先も

 

あのときほど

涙が止まらない日はないと思う

 

 

 

 

優しい人だった

厳しい人がった

 

アメとムチが上手く

 

 

どん底まで落とされては

励まされ、導かれている。

 

 

私は一度も

あの人から褒められることはなく

 

酒を交わすこともなく

自分勝手に逝ってしまった。

 

 

 

 

 

それから私の中で

世界は大きく変化した

 

見え方も

受け入れ方も変わった

 

 

不思議だ

 

 

こんな言葉が

正しいかなんて分からない

 

 

だけど

 

あの人が旅立ったおかげで

今の私があることは間違いなく

 

 

あの人が旅立たなければ

大学卒業後も泳げず

きっと踏ん張れなかったと思う

 

 

あの人の私が

私を突き動かしてくれた

 

 

 

もしかしたら

 

 

あの人が

自分の死をもって

 

私達に託した

 

 

恩師離れ

母離れという

 

宿題だったのかもしれない

 

 

そう強く感じた

 

 

 

 

 

ずるい人です

 

 

本当に

 

 

 

あの人の

弱音を聞いたことはない

 

あの人が

座っているところを見たことはない

 

あの人が

立ち止まっているところを見たことはない

 

 

 

そしていま

同じ戦場である

 

プールサイドに立ったとき

 

あの人が

どれだけ勉強していたか

どれだけ選手を見ていたか

 

どれだけ

愛していてくれていたか

 

 

 

痛いほど

気づかされました。

 

 

 

高い、高い存在です。

 

 

あなたを

 

 

越えようとは思いません

いやっ

超えられません。

 

だけど

思いを繋げて

 

生きます

 

 

あなたの思いと共に

 

 

生きます

 

 

 

 

ですが

1年に今日という日だけは

今日だけは良いですよね

 

 

立ち止まっても

 

 

エイプリル・フールなんて

嘘みたいな日に

 

勝手に逝ってしまったのだから

 

 

 

 

 

いつか

あなたの口癖だった

 

 

『ナイス!』

 

その言葉をもらいに

まだまだ先になりますが

 

 

待っていて下さい。

 

 

 

 

恩師であり

母である

 

岩谷安子コーチ

 

 

 

 

そしたら

また僕が選手で

あなたがコーチですから

 

 

 

それから最後に

 

 

 

あなたが

愛を持って育ててくれた

 

 

子供達は

 

ちゃんと

未来へと繋がり

 

 

あなたが築き上げた

家族という和は

僕達みんなの財産です。

 

 

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P.S

7月に僕にチビが生まれます

その時は、あなたの眠る場所に

 

妻と私とチビ

3人で会いに行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで

読んで頂きありがとうございます。

 

 

感情的になり

文もめちゃくちゃですが

 

 

 

凄い指導者がいたということ

素晴らしい人がいたということ

 

 

ここに残したく

書き綴りました。

 

 

 

私の原点はココです。

 

ではまた。