水と言葉の井戸端会議

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ピカチュウとイワーク

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過去のFacebookに載せた記事

思い出というカテゴリーで出てきたため

 

手前味噌

面白いなと思い載せさせて頂きます。

 

 

 

スポーツの世界(スポーツ以外にも言えると思う)で、結果が出ない多くの人が陥っている状況の一つは、ゲームのポケモン(青、赤、緑バージョンの初期の頃)で例えると、地面タイプのイワークに電気タイプのピカチュウで、ずっと挑み続けているようなものなのではないだろうか。

 

 

ゲームのマリオで言えば、ずっと同じ場所で死んでしまう。という状況。もし、やってるのがポケモンのゲームなら、初めて何も知らずにイワークピカチュウで挑んでボロボロにやられたのならば、その敗戦(失敗)から地面タイプには電気タイプの技は効かない。水タイプの技が効果的だと学び、次に戦う時は水タイプを出すだろう。

 

 

水タイプが効果的だ!というところまで至らなかったとしても、ピカチュウが好きだから!、強いはずだから!といって攻撃が効かないイワークに挑み続けることなんてしない。(ピカチュウが雷タイプの技しか覚えていない設定。)

マリオでも、1回はともかく2回も同じところでゲームオーバーになれば嫌でも、そこをどうしたらクリア出来るか学習する。

 

 

しかし、スポーツの世界では、イワークに電気タイプの技しか覚えてないピカチュウで挑み続けている人が多いように感じる。

 

 

『ひたすら練習を頑張れば』、『必死に努力すれば』、そう自分に言い聞かせ、根性でピカチュウの『電気ショック』をイワークにぶつけ続けていないだろうか?

 

結果が出ないように、イワークも効きもしない技をずっと浴びせられ、どうして良いかわからず放心状態かもしれない。

 

その失敗から学び、違う属性に変えようという発想に切り替え、ピカチュウと言う名の執着心から新たなる一歩を踏み出さなければ何も変わらない。

 

 

5気あったマリオも同じところで死にすぎて、いつのまにかゲームオーバーになってしまう。必ず時間(引退)というリミットは訪れる。

 

ゲームなんかより、断然難しいのは百も承知だが、ゲームで当たり前のように行なっている学習を、なぜ自分が好きでやっているスポーツ、その他分野で取り組まないのだろうか

 

そこが結果を出すことと同じぐらいにスポーツの楽しく、刺激的な部分だと思うが、、それを思い感じると同時に僕自身も、イワークピカチュウの『電気ショック』で挑み続けていた一人だったなと感じた。

 

 

 

今も本質的な考えは変わらない

変わったとすれば

戦う幅が広がり選択枠が増えたこと

 

ピカチュウでもイワークに勝てる方法がある

それも一つの選択枠だと今は考えています。

 

闇雲に攻撃するのではなく

プラン立てて行動することの大切さ

 

 

ではまた