水と言葉の井戸端会議

気ままに商い中。ごゆるりとしてって下さい。

コロナの『解夏』

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明朝は梅雨がとくに香り

夏を目前にしても少し肌寒い

 

以前にも『解夏』を題材に

書き物をしたきがしますが

まーこの季節は書きたくなるということで

 

では、ごゆるりと

 

 

早速ですが皆さんは

解夏 (げげ)という言葉

ご存知でしょうか?

 

私はこの言葉を映画で知り

その映画が好きになり

毎年この季節になると見ています。

 

映画 : 解夏

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映画の内容は

各々見て感じて頂くことにして

本題に戻ります

 

 

解夏】仏教の僧が夏に行う安居という修行が終わる時をいう。対語は結夏(修行が始まる時)。wikiで調べるとこんな感じです。

 

 

物凄く簡単に説明すると

辛く苦しい行が終わる日 です。

 

行とは仏教でいう修行

 

昔の修行僧は

とにかく歩いたそうです。

 

歩き赴き

また歩き

歩くことで世界を学ぶ

 

しかし仏教の世界では

雨期は歩くなと言われており

 

雨期とは生命誕生

草木虫が芽吹く時期

 

修行僧が歩けば

生命を踏み殺す恐れがある

 

そのため

修行僧達はこの期間

 

歩くことをやめ

近くの庵に集まり共同生活をしながら

 

雨期が終わる凡そ90日間

ひたすら座禅をしたそうです。

 

この期間を

夏安居(げあんご)と呼び

夏安居が始まる日を 結夏(けつげ)

 

そして

その行(修行)が終わる日が

 

解夏(げげ)

 

 

人生とは辛く苦しい

生きるということは簡単なことではない

 

その全ては行であり

その行が人を育て豊かにする

 

解夏とは解放を指し

辛く苦しい時期の終わりを指します

 

私はこの言葉が好きなわけですが

この言葉の真意はとても深い

 

 

解夏とは

成果に関わらず訪れるもの

 

そして人として最後の解夏は【死】

 

これまでの話を聞くと

辛く苦しい鍛錬をやり遂げ

報われた瞬間を指す。

 

そう捉えた方もいるかと思います。

もちろん間違いではありません

 

しかし解夏の言葉には

成果や結果は含まれていないんです

 

受験に例えるなら

結果が発表される日

 

そこまでに

勉学に励むため様々な時間を削り

緊張や不安、焦りも感じだと思います

 

これは正しく 行 です。

 

そして解夏

 

結果が発表された瞬間

合格だろうが不合格だろうが

 

その人はそれまでの

緊張や不安、焦りから解放される

 

 

水泳なら

大事なレースまでの期間

 

辛く苦しい練習

不安や焦り

寝れない日々が行

 

そしてタッチ板を叩き

電光掲示板を見た瞬間が解夏

 

あなたが優勝だろうが

最下位だろうが関係ない

 

それまでの

辛く苦しい日々から解放された瞬間こそ

 

解夏なんです。

 

1つの行が終われば

新たな行へと移る瞬間

 

解夏とはそういうもの

 

最後のその日まで

行は続き

解夏も訪れる

 

無情であり非情

だけども人生の真理

 

生そのものを指している

 

私はそう思っています。

 

 

コロナの『解夏』は

いつ訪れるのか

 

そのとき私達は笑えているのか

それとも既に新たな行のなかなのか

 

私達は今もなお行のなかを彷徨い

解夏を待つ。