水と言葉の井戸端会議

気ままに商い中。ごゆるりとしてって下さい。

哲学と正義の話し

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個人的に哲学という分野が好きで

 

このブログ上でも

SNSという舞台でも

 

哲学的な話を多くする

 

 

そもそも

哲学とはなんの学問なんだろうか

 

 

哲学は【愛知の学び】と言われており

言葉のとおりだが

知ることを愛するということ。

 

 

国語や理科

社会や数学など

 

言葉を聞けば分野の予想はつき

学びの姿勢も整えやすいかと思う

 

 

 

しかし【哲学】と聞くと

何を学ぶのか、何を研究するのか

 

謎でしかない。

 

 

しかし

それこそが【哲学】なんだと思う

 

 

 

いろんなものを取っ払って

難しことはなしで説明すれば

 

 

気になること

興味があることを

 

学び研究する学問ということだ

 

 

そもそもの

明確な答えはなく

 

 

知らないことを

知ろうとすること自体が哲学なんだと思う

 

それは

好奇心や興味から成るものや

 

答えの見つからないこと

 

その人の経験によって

生み出された理

その全てが哲学だと思っている。

 

 

 

歴史を紐解けば

その全ての学問は哲学から始まっている

 

 

 

しかし

現代人にとって

 

 

不明確なもの

不確かなものというものは

 

毛嫌いされる

曖昧さいよる恐怖によるものなのか

 

 

哲学を語れば

『病んでいる』といわれ

 

ポエマーと

なぜかポエマーが蔑まれる

 

意味のわからない

環境が整ってしまっている

 

 

しかし哲学を語るワタシからすれば

哲学を語れない者のほうが信用出来ない

 

 

なぜなら

哲学とは自身の中にある

 

正義であり

その正義とは

 

自分の核となるもの

 

 

学びの中でひとは自身を形成していく

学びとは

学校授業での学びではなく

 

人生と呼ばれる歩みの学び

 

 

その歩みを持たない者

学びを持たないもの

 

哲学を語れないもの

正義を持たないもの

 

 

これらは

言葉と意味は違えど

 

 

本質は変わらない

 

 

上記の者を信じろと言われても無理がある。

 

 

 

相手に自分という存在を知ってもらうには

自身の哲学を語り

自身の正義を語る

 

それしかないとワタシは考えている

 

とくに今の世の中

この哲学というものは重要な意味を持つと

 

 

ワタシは感じているのだが

 

なかなか

浸透していかないわけですよ

 

 

 

 

哲学の話をすれば

人は離れていく、、、

 

 

世知辛い世の中です。笑

 

 

ただ

ワタシは多くの人に

 

ワタシという存在を知ってもらうために

 

 

今日も明日も

哲学を語り正義を語りますから

 

お付き合い下さい

 

 

 

 

というわけで

今回は哲学と正義の話しでした

 

 

 

今日は寒いから風引かないようにね!