水と言葉の井戸端会議

気ままに商い中。ごゆるりとしてって下さい。

色眼鏡な厨二病

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I'm Back.

 

オンラインサロンもはじまり

本格的な水泳ネタは

そちらの方で本気で書き殴ってますんで

 

そちらとこちらとは

ちゃんと区別

つけないといけないと思うんですよね

 

https://www.bcc-onlinesalon.com/

メンバーさんにも悪いし

今後の水泳界のためにも

 

これまでに

2回記事を投稿してますが

 

乳酸やら糖質やら

コツコツと深くやっております

 

よかったら

足運んでみて下さい。

 

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少しお休み頂いていたのは

まー色々あって

でもね続けてたもんを辞めちまうって

 

自分のなかでも寂しいことですから

 

 

 

また日々を書き綴りたいと思います。

 

 

 

 

こっちの井戸端会議では

もともと好きな哲学的で本来は抽象的なことを

 

書きたいと思ってます。

 

 

理由としては

まーワタシが好きだからと

 

ワタシを知ってもらう

材料にしてもらいたいな。なんて

 

 

色々ですね。

 

 

 

 

いつもながら

では、ごゆるりと‥

 

 

 

ヒトは色眼鏡で世界を見る

自分の都合の良いように

 

嫌なことがあれば

それを何か理由をこじつけるため

 

本当は青なのに赤だと認識してしまう

 

 

でもなかには

色眼鏡自体が透明で透き通ってるヒト

 

なんてものもあるもので

それはもう格が違うわけですよ

 

 

本当に

 

 

みんな憧れて

みんなマネをする

 

でもね

それも貴方の色眼鏡に映ったもの

 

 

本心など誰にも分からない

 

 

 

ヒトが出来ることっていうのは

自分の色眼鏡を受け入れて

 

前を向くことぐらいなもんです。

 

否定せず

でも肯定するわけでもなく

 

 

自分というものを

あー俺ってこういう人間なんだって

 

 

それを受け入れたとき

ヒトは多少

大人になれるんじゃないかって

 

思うんですよ

 

 

 

そんなことを夜更けにフカしてる時点で

色眼鏡に埋もれたひとりなんですけど

 

 

どんな色眼鏡していても

美しいものは美しいと言える

 

そんなヒトではありたいですよね

 

 

出来れば

美しくも在りたい

 

 

そんな欲もアリかなと

 

 

ははは

 

 

ではまた

 

 

そんな難しく考えない

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早起きは三文の徳なんてことを言うが

3つ何があるかを考えてみた

 

・規則正しい生活リズム

・出費が減る

・時間の効率化

 

今のところこのような感じ

 

 

ただもともとコロナ自粛によって

乱れていた生活リズムが激変したため

 

眠さは隠せない

そんな睡魔と闘う米川です。

 

 

 

 

水泳における姿勢に対する基本は

上半身を下げれば、下半身は上がる。

上半身が上がれば、下半身は下がる。

 

これは意外と見落としがちな視点だったりする

 

 

ポジションが低いんです

脚が浮きません

キックが水面から出てしまいます

 

 

なんて悩みを持つ人は是非

 

そのことを頭に置いて泳いで見てほしい

 

 

それらの問題を

お腹だけでどうにかしようとしたら

無理に身体を持ち上げようとすれば

 

反対にポジションが下がってしまうことも

腰が反ってしまうなんてこともおこる

 

 

それだけでなく

お腹を過剰に意識すればローリングは決まらず

更に腰は反りやすく、ポジションも下がる

 

修正しようとしているのに

二次災害、三時災害を生み出し

 

根本の原因である

姿勢から遠く離れていく

 

 

本当であれば

上半身もしくは下半身の位置を調整するだけで

済んだはずの問題も

自ずとややこしくしてしまうのだから

 

紛れもない悪循環である。

 

 

 

昨日のブログでも書きましたが

動作の問題点は全体像から見る必要があり

 

その問題の根源を潰さなければ

それに繋がる更なる課題が降臨するので

 

要注意です。

 

 

 

泳ぎの上下動もそのひとつで

ギャロップしたくないのに

ギャロップしてしまうなんてことも

 

スイマーにはよくあるはなし

 

それを修正しようと

入水位置や呼吸、

ストロークにローリングなど

 

上下動に関係しそうな

テクニックを修正したくなるが

 

上下動するだいたいの要因は

 

 

フィニッシュに問題がある。

 

フィニッシュを描き切ってしまうことで

反動により頭は下がるから

 

それをフィニッシュのたびに繰り返せば

 

泳ぎが上半身するのは当たり前だ。

 

 

これも泳ぎの全体像が見えていなければ

視点をおけない課題の一つだと思う

 

 

その他にも

様々な要因は存在するが

 

それらを全て

ひとつの理由として捉えず

 

泳ぎを分析してみてはいかがでしょうか?

 

 

ではまた

全体像からみた指導

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色々な考え方や

色々な正義や常識が存在する

 

それも人の数だけ

 

昔はそれを

宗教という信仰によって

 

統一化されてきた時代もあったが

現代では

そこに自由という責任が課された。

 

 

だからこそ

人を批判する権利など人にはなく

人を揶揄する権利も人にはない

 

金子みすゞが伝えた

皆んな違くて皆んないい

 

そんな言葉で世界が溢れてくれたら

 

米川は嬉しいと感じます。

 

 

 

前振りが長くなりましたが

今回のブログでは

泳ぎの本質について書き綴ります。

 

 

本質なんて難しい言葉を使いましたが

これは選手だけでなく

指導者にとっても重要なことです。

 

 

泳ぎを考える

今よりもっと良くしていくうえで

 

動作の流れを掴む

ということは何よりも重要な視点です。

 

 

この視点がなければ

泳ぎは小手先だけ改善されるだけで

 

 

下手をすれば

その選手のバランス自体を大きく崩してしまう

 

そのひとつの例として

歯を矯正した選手のパフォーマンスが低下した

 

なんてことが良くあるほどです。

 

 

これは本来の噛み合わせが変わり

泳ぎのバランスも崩れたことが大きな要因です

 

 

このように噛み合わせひとつで

人の身体というのはバランスを崩します。

 

側から見たら

その選手の泳ぎは雑に見えたとしても

 

それこそが

その選手のバランスを保つ

最適な泳ぎの場合があります。

 

 

そういう場合は

根本から崩すのではなく

 

その泳ぎの流れを見極めて

改善するべき箇所と残すべき箇所を

的確に判断しなければなりません。

 

 

動作の流れは

悪いところだけ見ていても見えず

 

泳ぎの全体像から見る必要があります。

 

 

キャッチ、フィニッシュ、リカバリ

キックなど部分的視点ではなく

 

それはも含めた

泳ぎをひとつの流れと捉えて見る視点です

 

 

例えば

ある動作時に動きが止まる

 

ストロークのテンポがどこかで止まる

 

進みが悪くなる

 

そんな一見抽象的だと思える視点が

実は最も重要だとワタシは考えています。

 

 

そこから

そこの動きを止めている箇所を探し

 

そこの流れをよくするには

どこの動作を修正すべきか

 

しかし

どこを修正してはいけないか

 

 

そのようにアプローチすることで

その選手の軸となる部分は残しつつ

 

泳ぎは改善されていきます。

 

 

 

キャッチが下手だから

キャッチを直す。ではやく

 

 

キャッチが良くない理由は

泳ぎのどこに問題があるのか

 

 

車で例えるなら

エンジンがかからない

 

その理由は

エンジン自体に問題があるのか

 

それともガス欠なのか

はたまた違う理由なのか

 

 

というようなイメージです。

 

 

いかがでしょうか?

悪く見えるところを直すのではなく

 

悪く見える原因を直す指導

 

 

なによりも難しく

なによりも重要な視点です

 

ではまた

ピカチュウとイワーク

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過去のFacebookに載せた記事

思い出というカテゴリーで出てきたため

 

手前味噌

面白いなと思い載せさせて頂きます。

 

 

 

スポーツの世界(スポーツ以外にも言えると思う)で、結果が出ない多くの人が陥っている状況の一つは、ゲームのポケモン(青、赤、緑バージョンの初期の頃)で例えると、地面タイプのイワークに電気タイプのピカチュウで、ずっと挑み続けているようなものなのではないだろうか。

 

 

ゲームのマリオで言えば、ずっと同じ場所で死んでしまう。という状況。もし、やってるのがポケモンのゲームなら、初めて何も知らずにイワークピカチュウで挑んでボロボロにやられたのならば、その敗戦(失敗)から地面タイプには電気タイプの技は効かない。水タイプの技が効果的だと学び、次に戦う時は水タイプを出すだろう。

 

 

水タイプが効果的だ!というところまで至らなかったとしても、ピカチュウが好きだから!、強いはずだから!といって攻撃が効かないイワークに挑み続けることなんてしない。(ピカチュウが雷タイプの技しか覚えていない設定。)

マリオでも、1回はともかく2回も同じところでゲームオーバーになれば嫌でも、そこをどうしたらクリア出来るか学習する。

 

 

しかし、スポーツの世界では、イワークに電気タイプの技しか覚えてないピカチュウで挑み続けている人が多いように感じる。

 

 

『ひたすら練習を頑張れば』、『必死に努力すれば』、そう自分に言い聞かせ、根性でピカチュウの『電気ショック』をイワークにぶつけ続けていないだろうか?

 

結果が出ないように、イワークも効きもしない技をずっと浴びせられ、どうして良いかわからず放心状態かもしれない。

 

その失敗から学び、違う属性に変えようという発想に切り替え、ピカチュウと言う名の執着心から新たなる一歩を踏み出さなければ何も変わらない。

 

 

5気あったマリオも同じところで死にすぎて、いつのまにかゲームオーバーになってしまう。必ず時間(引退)というリミットは訪れる。

 

ゲームなんかより、断然難しいのは百も承知だが、ゲームで当たり前のように行なっている学習を、なぜ自分が好きでやっているスポーツ、その他分野で取り組まないのだろうか

 

そこが結果を出すことと同じぐらいにスポーツの楽しく、刺激的な部分だと思うが、、それを思い感じると同時に僕自身も、イワークピカチュウの『電気ショック』で挑み続けていた一人だったなと感じた。

 

 

 

今も本質的な考えは変わらない

変わったとすれば

戦う幅が広がり選択枠が増えたこと

 

ピカチュウでもイワークに勝てる方法がある

それも一つの選択枠だと今は考えています。

 

闇雲に攻撃するのではなく

プラン立てて行動することの大切さ

 

 

ではまた