水と言葉の井戸端会議

気ままに商い中。ごゆるりとしてって下さい。

泳げないという非日常

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どうも米川です。

 

 

今回発令される

緊急事態宣言によって

 

 

再度

泳げないスイマーが増加しそうです。

 

 

 

また色々と

考えてはいるのですが

 

 

何が良いのか

何ができるのか

 

 

当たり前のことを

必要としていることを

 

 

コツコツとしていきたい

 

 

そのなかで

私にしか出来ないことを

 

 

やっていきたい。

そう日々

試行錯誤しております。

 

 

 

ですので

私にできること‥

 

もう少しお待ち下さい。

 

 

 

 

さて

水泳とは

 

 

水中で行う競技であり

レーニングにプールという場所は

 

 

必須となります。

 

 

 

しかし

プールがなければ

 

 

水泳選手は

速くならないのか

 

強くならないのか

 

 

 

果たしてそうでしょうか

 

 

 

 

私は

そうではないと思っております。

 

 

 

 

確かに

競技力を向上させる

タイムを上げる

 

 

そのためにな

水中練習は欠かせないもの

 

 

日々の鍛錬によって

成績は向上していきます。

 

 

しかし

それだけではないはずです。

 

 

 

水中で出来ないこと

水中だとイメージしにくいこと

 

 

泳げないからこそ

詰めれるトレーニングもあります。

 

 

普段気にもしなかったこと

普段やらなかったこと

 

 

水泳選手であれば

特に陸上での

運動は少なくなりますから

 

 

泳げないからこそ

陸上からのアプローチ行う

 

 

 

泳げないから

悲観的になるのではなく

 

 

泳げないからこそ

今できることを行うことが大切

 

 

 

キャッチの動作

水中では感覚的に行っているけど

実際どこの筋肉を使って

どういう動きをしているのか。

 

 

キックは

どこの筋肉をどこのタイミングで

どのように動かしているのか

 

体幹であれば

どれぐらい力を入れると

動きが鈍くなるのか

どれぐらい

力を抜けば動きやすく

軸もブレないか

 

 

こういう時だからこそ

過去のレース映像をチェックして

 

今まで気がつかなかったことに

目を向けても良いと思うのです。

 

 

 

水泳選手であれば

泳げない日々ということ自体

 

非日常となりますから

非日常だからこそ

見えてくるもの

感じるものが出てきます。

 

 

 

そして

一番大切だと

 

 

私が思うのは

泳げないという

 

非日常だからこそ

 

【自分自身にとって水泳とはなにか】

 

 

水泳選手だからこそ

水泳を行う者だからこそ

 

 

核心となる

己と向き合う時間を作ること

それが

この先の武器になるのではと

 

 

思うのです。

 

 

 

水泳をやっているから

当たり前のように泳ぐ。

 

 

 

間違いではないですが

必ず

あなたが泳ぐ意味というものは

 

存在します。

 

 

 

その意味を

曖昧にしているのと

 

 

自分自身で自覚しているのでは

全く違うものです

 

 

 

それは

言い換えれば

 

 

水泳を行う上の

あなた自身の覚悟でもあります。

 

 

 

覚悟を曖昧にして

競技を全うできますか?

 

 

泳げているときは

なんとなくしか考えず

 

漠然としているものです。

 

 

なぜなら

泳げることが当たり前だから

 

 

 

しかし

ここぞという時に

 

 

本当に勝負すべきときに

その覚悟とは

 

 

あなた自身を

強くする大きな武器となります

 

 

 

なによりも頼れるものになります。

 

 

 

トップ選手にも

怪我や病気などで

 

泳げない期間ができ

自分自身

そして

競技と向き合う時間が増えたことで

 

 

カムバックした際

競技力が急激に向上する選手は

 

少なくありません。

 

 

泳げないという

非日常だからこそ

 

 

あなた自身の

身体と

心と

 

 

そして

覚悟と向き合ってみては

 

いかがでしょうか