言葉とは奥が深い
〇〇と同じ言葉を伝えても
人によっては
優しさになり
人によっては
刃物ともなる
伝えたい思いを
相手のことを考えずに伝えれば
それは
自分の思いとは
かけ離れたモノに形をかえてしまう
そんなことも多い。
一流の指導者と呼ばれる人達は
言葉の選択を
上手に使う人が多いように感じる
選手が欲しい言葉を
欲しい感情を
言葉に乗せて
選手に与えることが出来る
厳しい言葉をぶつければ
体罰やセクハラだのと謳われる今日
しかし
同じように
言葉を選択し伝えれば
それは刃物ではなく【愛】に変わる
つまり
何が言いたいかというと
言葉を伝えるときは
自分の思いだけでなく
相手の心も受け入れ
伝えなければいけないということ
そんなこというと
言葉を伝えるときに
億劫になってしまうが
結局は
伝えなきゃ何も伝わらない
それもまた
何度も失敗して気がつくしかない
学ぶしかない
そうやって
人は寄り添い支え合って生きてきた
言葉にしなくても伝わる
そんなものは言い訳に過ぎず
相手をどんなに理解したって
言葉なき関係に
愛などない。
メールやLINE
SNSなどが普及して
言葉は軽くなった
手紙の時代は
どれだけ言葉を選んだことか
その手紙で
自分の思いを伝えるために
そして
相手を思って文字に起こすことで
愛は深まった
手紙とは
言葉の文化であり歴史そのもの
今、本当に求められているのは
言葉の重みなのかもしれないと
ふつふつと感じている。
言葉が軽くなった時代だからこそ
言葉に重みをもたせて
大切な人に送る
突然ですが
ひとつ試しにやってみて下さい。
愛 を
言葉に変えてみる。
誰に愛を伝えたいか
なぜ、その人を愛しているか
この本質がなければ書けない
文字に命は吹き込めない
あなたの愛する人に
愛という文字を使わず
あなたは
その人に愛を伝えられますか?
言葉とは
そういうものだと
ワタシは思います。