水と言葉の井戸端会議

気ままに商い中。ごゆるりとしてって下さい。

日本人という美徳

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どうも米川です。

 

 

なんだか無性に

言葉を連ねたくなったので

 

今回は

 

日本人の

独創性と美徳について

 

 

殴るように書き綴ります。

 

 

 

ごゆるりと

 

 

 

現代の日本では

(的確に記せば戦後より)

 

 

日本人は

 

【形】というものに

捉われているように感じます。

 

 

そもそも日本人とは

無形のものに

 

想像や独創を

新たに加えた"モノ"を生み出す

 

人種であったはず。

 

武道でいえば『流派』

精神でいえば『わびさび』など。

 

 

自身の特性、個性が

独創性によって

 

新たな『技』を形作る。

 

それにより

 

【流派】というものは

創られてきたように感じます。

 

そしてまた、

トキと共に流派というものは

 

新たな

特性と個性が独創として加わる。

 

結果、核となるモノ

残しつつ形を変えていく。

 

進化という形で

 

オリジナルが

オリジナルを超え成長する。

 

まさに【温故知新】です。

 

 

 


【わびさび】とは

そもそも無形のものであり

 

『物足りなさ』

『寂しさ』というものから

 

美しさを見出そうという美徳精神

 

ヒトと違う。ということは

言い換えれば

『物足りなさ』でもあります。

 

 

しかしそれを

ネガティブに捉えるのではなく

 

個性として捉え

美しいと感じましょう。

 

という考え方

 

 


本来、日本人とは

独創的であり

 

尚且つ

個性というものに美徳を感じ

重宝してきた文化をもつ人種なはず

 

 

 

それなのに

今では『ヒトと同じ』

ということに固執

 

個性ではなく

普通、当たり前を優先してしまう。

 

ヒトと違うことが間違い

 

そんなふうに

捉えられてしまう。

 

 

ヒトと同じ

それに固執してしまうことは

 

自分自身を認める

ということから離れていると

 

感じます。

 


世間でも『個性を求める時代』

などと謳ってはいるが

 

社会は本当に

そのように

道を作っているかと問われれば

 

言葉に詰まります。

 

 

日本人本来のDNAには

 

【わびさび】

 

などの美徳心は

消えることなく刻まれているはず。

 

文化とはそう簡単には消えない。

 


こんな時代だからこそ

世界に目を向けるだけでなく

 

日本人である私達の

個性、特性、そして独創性に目を向け

 

日本人固有の

美徳心を思い出すことが

 

必要だと感じるわけです。

 

 

自分自身を見つめる美しさ

 

というやつですかね

 

 

 

オリジナルは

オリジナルのまま

またオリジナルに

新たな個性を加えることで

 

それもまた

自身のオリジナルになるのだから

 


なんだか本当に

熱く語ってしまいましたが

 

自分を知り

自分を求める

自分を超える

 

言葉では簡単

ですが、何よりも難しく

 

答えなどない。

 

だからこそ

ワクワクするのだと私は思います。

 

 

 

日本人である

という誇りが

 

 

日本人特有の個性ですから。

 

 

 

ではまた