水と言葉の井戸端会議

気ままに商い中。ごゆるりとしてって下さい。

『褒める』から『認める』へ

 

物凄く久々な文字遊び

ご無沙汰しております米川です。

 

書き綴らないあいだ

まーそれは色々あったわけですが

 

ふと文字を綴りたいなと思い

衝動で指を走らせています

 

 

今日は『褒める』という行為

その行為の裏にあるものについて

 

書き綴っていこうかと思います。

 

 

ごゆるりと

 

 

他者から褒められると

それは物凄く嬉しいもので

 

褒められることで

居場所を感じることも出来る

 

そんなプラスの行為です。

しかし考えてみてください

 

『褒める』という行為

 

親が子を褒める

先生が生徒を褒める

 

その根本には

上のものが下のものに行う行為

 

立場に上下

優劣がつく行為になります。

 

人を育てる過程で

『褒める』という行為は

 

一定のレベル、立場、状況によって

大きな効果を生み出すものではありますが

 

時に人をダメにする

廃人へと変えてしまう剣にもなります

 

褒めることで

満足してしまう。安心してしまう。

 

もちろんその感情は

人にとって重要な役割を担いますが

 

それだけでは

人の成長は頭打ちになる

 

 

人が求める究極のところは

認められる

必要とされる

求められる

 

自分という存在の

存在意義を感じることです。

 

『褒める』という行為では

その本質に迫ることは出来ない

 

人が求める本質をみるならば

 

『認める』という行為が

人を成長させ

更に自身を成長させる

 

 

私はそう思うのです

 

 

『認める』ということは

相手を見て、相手を受け入れ、相手を求める

 

更に相手からも求められていなければ

この『認める』という本質には届かない

 

対人関係において究極の形だと

 

私は思うわけです。

 

皆様の周りには

褒める相手がいても

 

認められる相手はいますか?

 

 

ではまた

 

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