水と言葉の井戸端会議

気ままに商い中。ごゆるりとしてって下さい。

【哀】と【愛】

 

言葉には力があり

言葉には想いが宿る

 

先人方は

誰かに想いを伝えたくて

誰かを守りたくて

 

言葉を手にし

文字を見出した。

 

 

当たり前のように存在する

言葉や文字

 

当たり前のよう活用しているが

そこに存在する

確かな想いや願いに触れることで

 

そのもの達の重みはグッと増す。

 

 

例えばタイトルにあるように

 

【哀】と【愛】

どちらも『あい』と読み

 

哀 かなしいを表現し

愛 いつくしみを表現している

 

簡単に言えば

哀はネガティブであり

愛はポジティブな表現と捉えられ

 

この2つは

対極の意味を持つ文字となる

 

ではなぜ先人方は

対極となると2つの言葉を

 

同じ『あい』という音にしたのだろうか

 

 

もちろん2つとも

同じ人物が考えたもかどうかは分からず

そこにそんな

想いや願いがあるかも分からない

 

しかし私はこの2つの

文字を見ることで【愛】の真理に近づく

 

そんな気がするわけです。

 

 

愛する想いが強いほど

その人を失った哀しみは大きい

 

このような表現は

様々なところで使われ

 

是非もなく納得できる表現

 

更には

哀しいほど愛している

 

なんてロマンチックな言葉もあります

 

 

 

同じ【あい】という音を持つ

両極端の意味を持つ2つの文字ですが

 

私はこれら2つの文字は

相反するものではなく

 

表裏だと感じるのです

 

 

愛があるからこそ哀

哀があるからこそ愛

 

どちらか一方ではなく

二つで一つ

それでいて【あい】ではないか

 

そう思うわけです。

そう願うわけです。

 

それが正しいか

そんなこと分かりません

 

これらの文字が出来た時代に

私は生まれていませんし

 

文字を起こした方々の子孫なわけでも

 

ありません。

 

 

しかし

私はそうであって欲しい

 

 

そう願いたいのです

そうすることで本当の【愛】に

 

近づける気がするから

 

 

 

ではまた

 

 

 

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